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『12モンキーズ』

人類の99%が謎のウィルスで死滅した2035年の世界から原因を探るために1996年へと送られた囚人がキーワード“12モンキーズ”を追いかけていく話。

痴豚様こと伊集院光氏が大好きだという映画監督テリー・ギリアム(ちなみに私が敬愛するマンガ家・冬目景氏も好きな映画監督の中に上げている。)の1995年の作品。

これは…面白い!完璧だぁ。

ブラッド・ピットの怪演がインパクト強し。

物語の前半からだと未来に人類のほとんどが死滅して云々のところが妄想なんじゃないかと思わせる展開。
1996年に送られるはずが1990年に間違って送られたブルース・ウィリス演じるジェームズは逮捕された挙句、精神病に監禁されてしまう。
この逮捕されるところがすっぽり抜けて精神病にいるところに場面が跳んでいることと、精神病院の面談の様子が未来の刑務所での面談とリンクしていること、そして未来の世界が妙に現実感を欠いていることから、現実がどっちなのか観ていても判断が出来ない。

後半にはいるところのワンカットでジェームズの証言がホントな事が分かるんだけど(ここがまたうまい!)、ここから逆にジェームズが自分の証言を疑い始めてしまう。
あまりに絶望的な未来から逃れるために、“辛い現実から逃れるために未来の世界を救うという妄想を描いている”という妄想の世界を造り上げていこうとするジェームズ。
真相に気付いてしまった精神科の女医キャスリンは、逆に妄想に取り付かれているかのような扱いを受けてしまう。
真相は一つであるにも関わらず、常識が邪魔をしてなかなかそこにたどり着けなくて、観ていてどうなるのかがまったく予想できないんだよ。
物語の醍醐味はまさにこれだ!ってくらい面白い。

物理学者ホーキングは「未来から訪問者が我々の世界に押しかけてきていないことが、タイムマシン理論が有り得ないという証拠である」と語っているけど、必ずしもそうでもないような気がしてきたよ。
一体誰がそれを信じるというのだ、ということなんだよね。

仮に自分が突然過去に飛ばされたとして、誰かが自分の話を信じてくれるとは思えない。未来の世界のことを細かく喋ることは出来ても、自分はインターネットどころかテレビも電話もどんな理屈で動いているのか知らないんだから、普通の感性の人は妄想としてあつかうだろうよ。


して、物語は後半。次から次へと伏線を解消していく怒涛の展開。見事などんでん返し!そして予告されていたエンディングへ!!
うぉぉぉ!と叫びたくなるくらい作品にのめりこんでいた。

パラドックスは生じない、何故なら彼は起こることを知らなかったのだからー。

絶望的なエンディングではあるけどね。最高に楽しかったよ。

映画でも小説でもマンガでもアニメでも、まだみたことのない素晴らしきものが死ぬほど残っているんだなぁと最近つくづく思うよ。
やっぱり“物語”は素敵だ☆(笑)

# by dentaku_no_uta | 2008-04-08 00:02 | 映画

『アニー・ホール』

NYを舞台に描く、コメディアンと美女の出会いと別れ。ウディ・アレン監督が主演。1978年のアカデミー賞作品賞受賞。

初めて観るウディ・アレン監督作品。

もの凄いシニカル。
ウディ・アレン演じるアルビー・シンガーの独白で始まるこの映画。
ー「僕を会員にするようなクラブには入りたくありません」これは僕の恋愛観にも通じます。

とにかく饒舌にベラベラとアルビー・シンガーがよく喋るんだなぁ。何か西尾維新の小説のキャラクターみたいな感じ。

まぁここが字幕で観る難しいところなんだけど、喋りが早すぎて字幕を追いかけるのにいっぱいいっぱいになっちゃうんだよね。俳優の演技や背景の小物にあまり目がいかない。

さらに言えば字幕は当然一人のセリフしか訳せないから一度に同時に喋ると主なセリフ以外何言ってるのか分からないし。言葉遊びの邦訳も限界があるしね。


でもねぇ、面白いんだよ。ディズニーアニメのキャラクターになったり、回想シーンにそのまま現在の姿のまま現われて普通に会話したりと趣向凝らしまくり。

物語は時間軸がグッチャグッチャになってるから、出会いのシーンの前に付き合ってる最中のエピソードが挿入されるから観てるといまいち分からなくなってくる。
でも最後まで見終わるとスッと解決。

要は全部思い出話なんだよね。
ラストに映画のダイジェストのような短い回想が入る。そこがいいんだよ。楽しかったことも、イラついてケンカしたことも別れたあとでは全てが懐かしい記憶へと変わっていく。

新しい男と、自分が何度も観せた映画を観にってるのを見つけて「勝った」と思う。負け惜しみのようなアルビーの最後の独白がなんか泣けてくる。


ウディ・アレン監督はアカデミー賞は21回ノミネートされながらほぼ確実に欠席。作品賞受賞した『アニー・ホール』の際も欠席しているそうな。

# by dentaku_no_uta | 2008-03-30 01:51 | 映画

『七胴落とし』

思春期と超能力_e0128729_23581027.jpg

神林長平、1983年の長編。デビューしたのが1981年だから初期の作品だね。


予備校に通う三日月は、19歳の誕生日を間近にひかえ、言いしれぬ不安に苛まれていた。大人になれば、他人と意識を共有できる感応力が失われてしまうのだ。同級生たちの危険なゲームに誘われる三日月。その身辺に現れる現実とも幻ともつかない少女・月子。崩壊していく現実感覚のなか、祖父が所蔵する妖刀“七胴落とし”の鋭利な死のイメージに囚われていく三日月であったが…(裏表紙より)

この前読んだ『戦闘妖精・雪風(改)』がメチャメチャ面白くて、図書館で借りてくる。小説で全作品読んだ作家って今のところいないんだけど、神林長平は全部読んだみたいな。

自分の読書の嗜好がイマイチ分からなくて、色んなジャンルをちょっとづつ読んでみたけど、結局SFに一番興味があるみたい。
最近何冊か読んだ小川一水もハードSFの新鋭だし。


っていうか、ラノベないしジュブナイル小説とか読みやすい文体のものばかり読んでると、こういったガチガチでグニャ~とした文章読むとそれだけでやられてしまう。
特に『七胴落とし』は『戦闘妖精・雪風』と違って“ワケのわからない世界”なんで酔ってしまいそうだったよ。映像化したら凄いことになりそう。

現実と虚構の区別がつかない世界は、砂上の楼閣の上でブレイクダンスを踊っているようで、もの凄く自分を不安にさせる。
映画だったら『アンダルシアの犬』、アニメだったら今敏の『パプリカ(筒井康隆の原作も)』『妄想代理人』、あるいは『エヴァンゲリオン』の最後のほう、小説だったら内田百閒の短編。
そういった作品はホラーと違った恐怖を感じながら、とても魅力的だったりする。

どこからが現実で、どこからが幻なのか。この作品でもまったく分からない。もしかしたら全部現実なのか、全てが妄想なのか。
何故、七胴落としは家にあったのかー。分からない分からない。

そもそも設定の基礎の“予備校”が曲者。ここで言う予備校とは高校を卒業していながら感応力を失っていない少年少女をある種監視するための場所。

この世界では子供と大人は明確に区別されている。感応力があるかないか。

と少なくとも三日月は思ってる。大人は醜いと唾棄しつつ、自分が大人になることに激しい恐怖心をいだいている。
要は彼は餓鬼なんだよね。周りの大人もそれを知っている。けど彼は頑なに認めず、相手をただひたすらになめている。
筒井康隆の『愛のひだりがわ』では不思議な力を子供の能力として、それを喪失することこそが大人になることだったけど、感応力の有無は、実は些細なことに過ぎないんだと思う。体が大人になる過程の変化の一つにすぎないんじゃないだろうか。
感応力があっても大人となっている人もいるし、いくつになっても子供のままの人もいる。(皮肉なことに三日月自体がそれを証明することに)。

にも関わらず三日月が感応力に固執して、“大人”になることに恐怖するのは力を失うことに恐れていたのではなく、自分という存在の小ささを実感させられる大人の世界へ入ることへの不安と、また自分がなめられる立場になることへの焦り、要はプライドがためだったのだと思う。

正直なところ、自分はあまり「大人は汚い」とか「大人になりたくない」とかあまり思うタイプじゃなかった。まぁ別に大人を尊敬していたわけでもないけど、子供と大人をあまり区分するような子供ではなかったと記憶している。必ずしもポジティブな理由からでもないが、大人になることに嫌悪感はなかったし、今でもない。
といってもいまだに大人になりきれず、ウダウダやってるんであまり大したことは言えないけど…。

まぁ話がそれたけど、何が言いたかったかと言うと、三日月に全く共感できなかったということが言いたかったんだよね。まったく共感できないけど、どうなるのか気になって読み出したら止まらなかった。


誕生日おめでとう。

その扉の一言が印象的だった。

# by dentaku_no_uta | 2008-03-27 01:24 | 小説

『ネムルバカ』

石黒正数のサイン会行ってきたぞ~!

今までイベントごとに参加することは滅多に無かったんだけど、ある日突然好きな漫画家のサイン会に行かないことは猛烈に損だと気づく。
そんな折に石黒正数のサイン会の告知をHPで発見。

好きな漫画は数多あれど、『それでも町は廻っている』は相当好きな漫画であり、無事予約が取れたときは小躍りするほど嬉しかった。

で、今日。
元来あがり症なもので、自分の順番が近づいてくると緊張して手から汗が止まらない。
しかもてっきりタイトルのカラーページのところにサインしていただくだけだと思い込み、表紙の裏のところにイラストを入れてもらえるなど想定していなかったため、表紙を劣化防止用のカバーで思いっきり固定するという大ミスをしでかす。(結局最終ページの空白のところにイラストをいれてもらう)
っていうか今にして思えば帽子被ったままだったし。
なんかホントすいませんな感じではあったけど、とにかく無事石黒正数先生に会えて良かったよ。
春休みは冬目景先生のサイン本を買ったり、桐幡歩先生から返事をいただいたり、今敏監督にサインをもらったりと漫画・アニメに関する腰が抜けそうなほど嬉しいイベントが続いたけど、石黒先生のサイン会で締めくくられたのは最高だよ☆。


して今日のサイン会の対象だった『ネムルバカ』について。

『ネムルバカ』は大学の寮で二人で暮らす先輩・鯨井ルカと後輩・入巣柚実の“青春”を描く作品で、COMICリュウで連載。全1巻。

おそらくネタばれすると思います。未読の方はお気をつけください。

『それ町』に比べてかなりシリアスな仕上がりになってると思う。
最初のころは、『それ町』テイストの日常コメディーだったんだけど、風向きが変わり始めたのが第5話「チテイジン」。
この話もまだ笑いの要素も入っているけど、将来とか生きる目標といった漠然とした不安が目に見えて現れてくる。

「やりたいことのある人とやりたいことがない人の間に、何かしたいけど何が出来るのか分からない人ってカテゴリーがあって 8割方そこに属してると思うんだがね」
入巣の同級生のセリフより。
思いっきり大学生の自分としては、かなりきついセリフだ。
果たして自分はやりたいことをやっているのか?目標に向かって進んでいるのか?
思い返せば小学生の時は「漫画家になる!」と真剣に思っていた。まぁ路線変更を繰り返して今に至るわけだけど、将来のことはあまり考えたいものじゃないね。


6話で音楽で生きていこうとしていた鯨井が突然成功の道を歩み始めていくが、それは本来望んでいた形ではなかった。そして最終話ー。

6話のタイトル「ジンゾウニンゲン」=人造人間。目標に向かって生きていた鯨井に対してあまりにも悲しい肩書きだと思う。

やっぱりネタばれするわ。

最後ライブの会場から鯨井は脱走を遂げる。

自分が石黒作品が良いなぁと思うのは、演出の面で相当あの手この手を駆使しているところなんだよね。
脱走する直前、入巣には鯨井が自分に何かを言ったように見えたんだけど、何を語ったかは劇中明らかにされないんだよね。
答えはタイトルに。最終話「ゲンキデネ」=元気でね。

脱走後の次のページでは場面変わった寮の部屋に。そこでは第1話で部屋なされた入巣と鯨井の会話が再度なされているわけですよ。
ここで読者は「あぁ鯨井は帰ってきたんだ」と思うわけだけど、実はそれは“先輩”になった入巣と同室になった後輩の間でなされた会話だったという裏切りに会うことになる。


しかも読み返すと、第1話のオープニングの時点で、鯨井の失踪は予告されてるんだよね。第1話が鯨井が家出をして即見つかるという話だったから完璧騙されてたけど、あれは最終話につながってたんだねぇ。



物語の中で一番印象的だったのが鯨井が、“壁”の横のドアをくぐって反対側に抜けっていった場面。
この“壁”は心象として出てくるもので、成功を得るために、ぶつかった壁を打ち破ろうと必死になっていた象徴だった。しかし全ての努力を否定するようなドアを抜けて鯨井は反対側へと行ってしまう。
なんて切ない場面だろう!


今月号のリュウで番外編が掲載。
またしても作者に騙された。後日談だと思ってたのに!
2年前の鯨井は、モデルとなっている『それ町』の紺双葉とほぼ同じ。やっぱり髪の毛短いほうが可愛いと思うんですが、どうでしょう?

# by dentaku_no_uta | 2008-03-23 22:48 | マンガ

『時砂の王』

時間SFと弥生時代_e0128729_23425236.jpg

小説の欄を作っておきながら、『第六大陸』から更新されることはなく。
久しぶりに更新。

今回も小川一水です。

西暦248年、不気味な物の怪に襲われた邪馬台国の女王・卑弥呼を救った“使いの王”は、彼女の想像を絶する物語を語る。2300年後の未来において、謎の増殖型戦闘機械群により地球は壊滅、さらに人類の完全殲滅を狙う機械群を追って、彼ら人工知性体たちは絶望的な時間遡行戦を開始した。そして3世紀の邪馬台国こそが、全人類史の存亡を懸けた最終防衛線であるとー。(裏表紙より)

まずは表紙にやられた感じだったな。いかにも未来なボディースーツを着た男の横に立つ古代日本人の女性。
自分は古代日本に対してロマンを抱くタイプの人間らしい笑。


この『時砂の王』で小川一水作品は『老ヴォールの惑星』『導きの星』『強救戦艦メデューシン』『第六大陸』『イカロスの誕生日』に続いて6作品10冊目なんだけど、今までの中で一番面白かったな。
まぁもともとSFのジャンルの中では時間ものが一番好きだってのはあると思うけど。
いわゆる時間SFの論理が破綻した時点で終了な上に、解決しても「ん?ん?」って不思議な感覚になるところが好き。
といっても『涼宮ハルヒ』だったり映画『サマータイムマシーン・ブルース』くらいの軽さのものが好きで本格的なものはあまり読んだことないんだけどさ笑。


今まで小川一水の作品読んでると、面白いんだけどラストが綺麗事だらけになっちゃうのがどうかなぁと思ってたんだよ。
こう何ていうか、キャラクターが清すぎるんだよね。清濁合わせ飲む迫力が無いっていうか。

『時砂の王』は明確な敵キャラが最後まで出てくるから、骨太感がグッと上がったと思う。

特徴だった細々と色んなことにまで描く文章が今回は随分あっさりになっている。あの細かさはあれで良いと思ってたんだけど、ばっさり切ると相当読みやすい。
ページ数も280ページとコンパクトで良い。


あぁ、それにラストが熱い!スペクタクルものの映画のようだ!
戦闘シーンで卑弥呼が魅せるリーダーっぷりに胸が熱くなるぜよ。

こんな風に卑弥呼をお転婆の少女として描く作品も珍しいよね。

SF大好きな人からすると、時間枝の諸々に物足りなさがあるみたいだけど、オレのレベルからすると、かなりよく出来た作品だと思う。

興味ある人は読んでみてください。

# by dentaku_no_uta | 2008-03-21 00:32 | 小説